神を信じなくても、神学を学べ

リベラル・アーツの一つである神学

“Study Theology, Even If You Don’t Believe in God”(神を信じなくても、神学を学べ)と題したエッセーをともに読みたいと思います。2013年10月に、『Atlantic』というアメリカの雑誌に出版されました。著者はTara Isabella Burtonです。

Hortus Deliciarum, Die Philosophie mit den sieben freien Künsten

哲学に仕える七つのリベラルアーツ

タイトルのすぐ下にある “This lost liberal art encourages scholars to understand history from the inside out.”という一行を見ると、著者の訴えを少し予測することができます。すなわち、失われたリベラル・アーツの一つである神学を学ぶと、外からではなく、中から歴史を理解することができるということです。

しかし、神学がなぜ「失われたリベラル・アーツの一つ」と言えるのでしょうか。「中から歴史を理解する」とはどいうことでしょうか。そして特に、無宗教の方や異なる宗教の方々にとって、自分と直接関係がない宗教の思想・神学を学ぶ価値は何なのか、これらのことについて考えながらBurton氏のエッセーを読んでみましょう。

英語で読んでいただきたいので、段落ごとに多少の解説をさせていただきました。もう一つのブラウザーを開き、パソコンの方は同時に、スマートフォンやタブレットの方は交互に、下の解説と原文を読んでくださればと思います。

段落1 神学に対する誤解・疑念

著者はまず自分の体験を語ります。要約すると、高校生の時に、「大学で神学を学びたい」と母親に言ったら、反対されたとのことです。

第1段落の次の単語と語句を確認して、読んでみましょう。→ “When I first told…”

  • bachelor’s degree – 学士号
  • nun – 修道女、尼僧(にそう)
  • aghast – びっくりして、がくぜんとして
  • wingnut – 〈米俗〉奇妙な人、変人、奇人。ここでは、妊娠中絶に反対して、中絶クリニックでピケを張る人を指している。
  • “Bodleian Library”(ボドリアン図書館)- オックスフォード大学の有名な図書館です。
  • the devout – 敬虔な人、信仰深い人
  • How many angels can fit on the head of a pin? – 針の先っぽに何人の天使がのれるかという疑問は、天使などについて議論してきた神学者(特に中世においてはトマス・アクイナスなど)を始め、現代でも神学全般に関心を持つ人を馬鹿にするための修辞疑問文(rhetorical question)です。

段落2〜3 アメリカとイギリスの厳しい現状

第2〜3段落で著者は、幾つかの具体例をあげながら、神学という学問がどう見られているのか、どう扱われているのかについて書いています。

それでは、第2と第3の段落を読んで、キーポイントを確認しましょう。→ “Her view…” & “Even in the United Kingdom”

ここでのキーポイントをまとめますと、

  • 神学という専攻を提供する大学が少ない(ハーバード大学やエール大学などのエリート大学の神学部は例外である)
  • 歴史学等の一般教養の必須科目に並べて、神学の授業を必須科目としている大学が少ない(ジョージタウン大学やボストンカレッジのようなカトリック大学は例外である)
  • アメリカ合衆国の大多数の州では、宗教に関わる訓練と見られる教育に対しては、公的資金が制限されている
  • 神学の「世俗的な学部プログラム・学士号」がより多い英国でも、「新無神論者」として有名であるリチャード・ドーキンス等が、大学においては神学の科目は廃止されるべきだと訴えている

ここまで著者は、神学に対する否定的な見解を紹介してきましたが、第4段落からは肯定的な話に移っています。

段落4 「学問の女王」- 神学の歴史的な役割

ここでの主なポイントは次のようにまとめることができます。

  • 高等教育の歴史を見ると、上で見てきたような見解は割と最近のことである
  • ヨーロッパとアメリカの最も古い、かつ有名な大学の多くは、教職者・聖職者を訓練するために設立され、神学を「学問の女王」(すなわち、他の学問の意味や目的を司る学問)として大事にしていた

このキーポイントを考えながら、第4段落を読みましょう。→ “Such a shift…”

段落5 大切なものを無用なものと一緒に捨てるな

次に、第5段落を読んでみましょう。→ “Universities like Harvard…”

現在のハーバード大学等は、もはや教職者・聖職者を訓練するために存在している訳ではありません。しかし、リベラル・アーツ教育において神学の役割を認めないということは、an example of throwing out the baby with the bathwater, 「細事にこだわり大事を逸する、大切なものを無用なものと一緒に捨てる」のではないかと著者は主張します。

段落6 「人文学の女王」 – 神学@オックスフォード大学

第6段落で著者は、著者自身がオックスフォード大学の学部で出会った人や学んだことの例をあげています。前半で専門用語がたくさん出てきますので分かりづらいかもしれませんが、この段落のキーポイントは後半にあります。すなわち、

a course in theology is an ideal synthesis of all other liberal arts
神学の科目は、他のリベラル・アーツ科目の理想的な統合である

では、第6段落を読んでみましょう。→ “Richard Dawkins would…”

段落7〜8 時と場を超えてエンパシーを教えてくれる学問

著者は本論に入ります。自分にとって、神学の価値がどこにあるのかと言うと、上で触れたような総合的なアカデミック・スキルの習得だけではありません。第7段落を読んで、その価値について考えましょう。→ “Yet, for me…”

著者にとっては、神学の学びは時や場所を超えて、様々な時代のmindset(考え方、物の見方、習慣)を深くexplore、探検する機会を与えたくれたということです。

著者は第8段落でさらに説明してくれます。12世紀のフランス人修道僧や包囲されたビザンチウムの神秘主義者の例をあげながら、神学こそが自分に教えてくれたことについて書いています。すなわち、神学の学びは、自分の状況と全く異なる状況の中に生きていた人々の心を理解するための洞察力を養ってくれた、とのことです。

ここで第8段落を読みましょう。→ “Such precision may seem…”

神などに関心がない方が多い現代では、神学の学びは“utterly pedantic”、無意味に近い、学者ぶった博識に見えるかもしれません。しかし、人々が最も大切にしている信条や信念を深く理解するということは、その人々の「宗教観」のみならず、彼らの自己理解、他者や自然界との関係、あらゆる観点から見た彼らを理解することにつながるはずです。

神学の目的が教義の植え付け(あるいは洗脳)だと考える人はいるようだが、それは大いに違います。人を理解するためには、彼らの行き方や信念に同意する必要はありません。

To study theology well requires not faith, but empathy.

神学を学ぶ時に、必要なのは信仰ではなく、エンパシー(共感、自己移入)なのだ、と著者は主張しています。

段落9 まとめ – 主観的な学問の必要性

第9段落を読んでみましょう。→ “If history…”

If history and comparative religion alike offer us perspective on world events from the “outside,” the study of theology offers us a chance to study those same events “from within”: an opportunity to get inside the heads of those whose beliefs and choices shaped so much of our history, and who—in the world outside the ivory tower—still shape plenty of the world today. …

歴史学や比較宗教学というのが「外から」できるだけ客観的な視点を与えてくれるのに対して、神学というのは「中から」主観的な視点を与えてくれるところに魅力がある、と著者は論じています。

大学で神学を学ぶことができないとすれば、それは決して「世俗主義の勝利」ではありません。むしろ、大学教育から神学が消失すれば、それは非常に残念な損失である、と。なぜなら、客観的な分析等だけでは、我々は過去の世界や思想を深く理解することができないからです。

過去の世界や思想を理解するためには、

It requires a willingness to look outside our own perspectives in order engage with the great questions—and questioners—of history on their own terms.

すなわち、偉大なクエスチョン、そしてクエスチョンナー(問題を定義してくれた人たち)の立場に立って、彼らと「やりとり」をするために、自分の視点を乗り越えて考える必要がある、と著者が結論しています。

***

さて、皆様はいかがでしょうか。リベラル・アーツとしての神学への興味が少し湧いたでしょうか。興味のある方は、神学入門と関連するこんな本もありますので、色々と読んでみてください。

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